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インタビュー

吉本興業を辞めて、やりたかったこととは?
ぶっとんでいるクリエイターと世界をつなぐ。

もう何十年もいわれている問屋無用論の発端はスーパーマーケットの台頭だった。一部の世界ではほとんどマージンをかすめとるだけのような問屋というのも確かにあって、無用論はやむなしの風潮が大勢を占めたこともあった。ではなぜ、生き残ったのか。それはメーカーとショップを結ぶ橋渡しといういたってシンプルな結論に達して研ぎ澄ましてきたからだ。マスプロダクトの時代には軽視されがちだったけれど、"つなぐ"ことはとてもクリエイティブで大切な仕事である。これをかつてなかったジャンルで創造してしまったのが、吉本興業から独立したばかりの佐藤詳悟さんだ。
PHOTO:橋本裕貴 TEXT:竹川圭

ネタ帳から生まれた、史上最大規模のライブ

「マネージャー時代、担当のバンドのPVの編集もしてみましたし、作家さんのようにネタイベントの打ち合わせにも長時間参加し、アイデアを出していました。が、どれも飽きてしまうのです。クリエーターはどれだけ自分を犠牲にしておもしろいアイデアを具体的にできるかが勝負。僕は全くそのクリエーターの素質はないと気づきました。ただアイディアを考えるのとそれをどう実現しようかと考えるのは飽きませんでした。」

社会人の振り出しはナインティナインのマネージャーだった。煙草と水をウエストポーチに突っ込んで四六時中控える日々。手持ち無沙汰な時間を埋めるためにもうひとつ、バッグにしのばせたのがネタ帳だった。
「ケータイをいじっていたら怒られるけれど、ノートなら仕事のメモをとっているようにみえる(笑)」
単なる手慰みで終わらなかったのが佐藤さんの非凡なところだ。思いついたことをなんでも書き散らしているうち、いくつものプロジェクトとして華開いた。

たとえば2014年3月30日に両国国技館で開催されたバースデーライブ『千原ジュニア×(かける)□』。千原ジュニアが40歳の誕生日に何かします”とだけ発表し、09年よりチケットの販売を開始するというものだった。ジュニアさんの「あと5年で大台や。なにか面白いことやりたいわ」と漏らした一言に応えたのはネタ帳の1ページだった。まったくの白紙でスタートしたものの、じわじわと盛り上がっていき、そのライブは8000人の観客を集めた。お笑い芸人のライブとしては最大規模だった。

「上司の許可もとらず、場所も決めずに走り出したのでどうなることかと心中穏やかではありませんでしたが、どうにかなりました(笑)」
A5サイズのノートは何冊もたまっていった。ところが、いつのころからか遠ざかる。
「肝心なことは目の前にあるって気づいたんです」

アイデアを完成させるためのツールへ

「漫画、映画、芸術、テレビ番組……、日本には高度なコンテンツが無数にあるにもかかわらず、彼らの才能にスポットを当てるプロデューサーのポジションがきわめて貧弱だった。目指したのは、“ヒト”の営業代理店。平たくいえばタレントにとどまらないマネジメント業です」

クリエイターと世の中をつなげることを謳って「QREATOR AGENT」が船出したのは2015年の2月。なんとかやっている感じ、と謙遜するが、すでに約100人のクリエイターが在籍する。1年も経たないうちにそれだけのプロフェッショナルが手を結んだ理由は、やはり佐藤さんの考え方がユニークだったからだろう。

「クリエイターの魅力をとことん掘り下げて、僕らが彼らを好きになることがこの仕事のとっかかりであり、本質です」

惚れ込んだ顔ぶれが面白い。肩書きをちょっと拾っただけでも起業家、職人、ファッションデザイナー、学者、医師料理人作家、芸術家、アスリート……、世間一般が想像するものとはだいぶ趣が異なるメンバーの共通項はぶっとんでいること(屋号は“目覚ましい進歩”という意のQuantumleapとcreatorの造語である)。多士済々のインタビューはそれだけで刺激的だ。データサイエンスを駆使したウェブ・ベースの発信に既存のマスメディアも飛びついた。所属する面々は連日のようにテレビや雑誌に登場する。
しかしなんといっても一匹狼だったクリエイターを可視化し、組織化したことが大きい。リストはそのまま企画書づくりのヒントになる。

さらに一歩推し進めた試みにも取り組んでいる。所属クリエイターのマッチングがそれだ。女子高生起業家の椎木里佳に辛酸なめ子をぶつけて彼女たちの生態をあぶり出す対談など、とにかく目のつけどころがいい。佐藤さんは吉本興業時代「パパパーク」というプロジェクトで“パパ芸人”と企業と結びつけた商品開発を手がけた。大学と組んで芸人のワークショップスクール「笑楽校」を開校したこともある。クリエイターの化学反応から何かが生まれることは想像に難しくない。
芸能の世界で鍛えられたのもあるだろうが、メンバーといい、仕掛けといい、フラットに見聞を広めてきた佐藤さんの面目躍如である。

「僕はほんとう、無趣味な人間で、仕事をとったらなにも残らない。が、おかげで先入観とは無縁で、なんにでも首を突っ込むことができました」

ネタ帳を必要としなくなったのも、もっともだろう。旬な人々と常に一緒にいる佐藤さんには、メモを見返す間もなく、はるかに濃度と鮮度の高い情報がそれこそ矢継ぎ早に入ってくるのだから。

「ただね、書くことは欠かせないんです、パワーポイントとか使えないし」、と笑う。頭のなかにフワフワと漂っていたアイデアの輪郭が浮かび上がってきたとき、佐藤さんはそこではじめてノートを開く。

「企画書は手で書きます。書いて整理する。ポイントは付箋です。これは放送作家の鈴木おさむさんからいただいたアイデアなんですが、すべてのプロットを付せんに書き込みます。そうすると自由に入れ替えられる。アップデートが簡単なんです。付せんをセットしたEDiTのアイデア用ノートはおさむさんと僕のためにあるといっていい(笑)」

携える喜びを与えてくれるのも見逃せない。「持ち物や身につけるものってヒトトナリを表しますからね」、とシンプルでモダンな服に身を包んだ佐藤さんは言った。

Profile

佐藤詳悟 Sato Shogo
株式会社クリエーターエージェント代表取締役

1983年生まれ。明治大学卒業後、吉本興業に入社。ナインティナイン、ロンドンブーツ1号2号などのマネジャーを歴任、ちょうど10年という節目の年にあたる2015年1月18日に吉本興業を退社、株式会社QREATOR AGENTを設立する。

クリエーター×クリエーターから生まれるコンテンツ発信メディア「QREATORS