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インタビュー

ファッションの世界が教えてくれた
ロジックから解き放たれたデザイン

夏目漱石は"I love you"を"月がきれいですね"と訳したという。雲ひとつない十六夜の浜辺。ふたり並んで見上げた月。その台詞は女性の柔らかな部分にすっと溶け込んだことだろう。 adidas Originals Flagship Store Tokyoなど話題の作品を次々と手がけてきた千原さんのアートディレクションに対する考え方を聞いていて、日本人ならではの慎ましやかなエピソードがオーバーラップした。
PHOTO:橋本裕貴 TEXT:竹川圭

アイデア用ノートは、分刻みの毎日を乗り切るための強い味方

千原さんはいま、おそらくもっとも忙しいクリエイターのひとりだ。常時20近いプロジェクトが同時進行しているという千原さんに、デスクに深く腰をかけてアイデアを練る時間はない。クライアントとの打ち合わせに向かうタクシー、あるいは風呂、トイレ、寝室といったオフタイムの空間にまで、仕事の緊張感が侵食している。

「台紙がしっかりしていて、キャンバス代わりにつかえるEDiTの『アイデア用ノート』は重宝しています。しかしなによりこのノートの魅力はドットで構成される中面フォーマットにあります。ぼくらが描くのはグラフィックですからね。直線や規則性が大切なんです。といって、定規は使いたくない。同じ直線でも定規とフリーハンドではまるで別物ですから。『アイデア用ノート』はフリーハンドの精度を高めることができます」

そうして描きあげたラフや写真、思いついたアイデアはすべてスタッフと共有しているLINEにアップしておき、週に1回、スタッフとのミーティングの時間を設けることで、「せっかくのネタがこぼれ落ちないですむ」と笑う。

「たっぷり時間があるとかえって甘えてしまいますからね。アイデアをひねり出す癖をしっかり身につけていれば、さほど難しいことではありません」―まさに分刻みでミッションをクリアする毎日だが、これくらいがちょうどいいという。

息の詰まるような毎日をひょうひょうと語る千原さんだが、そもそもなぜ、これほどまでに時代に求められているのか。勝因は昔ながらの下積みで鍛え上げた体幹をベースに、従来の価値観にとらわれない発想で仕事に取り組んでいるからだ。

ファッションという武器をもっているからこそのギャップ

「タイポグラフィを追求して、チベットにまで足を踏み入れる職人気質の世界。そこに憧れたのは確かで、今もそういうスタンスに対するリスペクトはあります。ありますが、もっと僕らしいアプローチの仕方があるんじゃないかと思ったんです」

れもんらいふの軸になっているのはファッションだ。千原さんの作品の魅力のひとつにギャップがあるが、それはファッションの仕事で培われたものである。

「ファッションに近い場所にいたこともあって、独立後はアパレルのカタログからスタートしました。どっぷり浸かって、面白いなぁと思った。広告って本来は売りたい商品をわかりやすく伝えるのが使命です。ところがファッションのジャンルでは、なんなら服が写っていなくてもポスターとして成立する。しかしその写真がブランドの世界観をより深く伝えていたりする。わかる人にしかわからないメッセージを込めていたりするのもしびれます。じつはあの時代のあの作品がモチーフになっているとか。それってたっぷりの知識と知識が培ったセンスがないとできないことでしょう」

半年後には時代遅れになってしまう刹那的なところもいいという。

「けして永遠に残るものを目指していないわけではありません。たとえばアヴェドン(=リチャード・アヴェドン。ファッション写真の大家)。彼はその時代のもっとも尖った部分を攻めつづけたから、突き抜けて名作になったんです。そういう意味でファッションはもっともひりひりするジャンルです」

そして、ファッションという武器をもっているからこそ可能となった、ギャップ。お笑い芸人のジャルジャルのポスター製作を頼まれた千原さんが提案したのは著名な写真家、レスリー・キーを起用したファッションシュートだった。

「落差があればあるほどユーモラスな効果が生まれる。今やってみたいのは、一流のモデルがソファーやキッチンでおなじみのポージングを決めている新築マンションの広告(笑)」

“かわいい”というフィルターをとおす、奥ゆかしさ

そんな千原さんを語るときに欠かせない、表裏一体のキーワードが“かわいい”だ。候補に残ったポスターを壁に貼ってスタッフと検討するとき、書体やバランスをみて、大真面目な顔をして「こっちのほうがかわいくない?」とやっているという。

「かわいいって概念には品があると思うんです。たとえばシリアスなテーマをそのままカタチにしたら、ちょっと生意気。だけど、そこにかわいらしい要素を入れることでヒステリックな感じから開放される。大げさなこといってごめん、みたいな。10代のころに付き合っていた彼女には『なんでもかわいいというのはやめたら。薄っぺらな人間に見えるよ』って言われたんですが(笑)」

千原さんは奥ゆかしいのだ。生まれ育った京の言葉でいうならば、はんなりしている。それはれもんらいふ、という社名に顕著だ。

「だれでもわかるデザインを心がけたいから、平仮名に。デザイン会社って横文字が多いですしね。イメージはバンドの『はつみつぱい』と『はっぴいえんど』。彼らってめちゃくちゃすごい人々なのに、響きも字面もださい。ここにもギャップの面白さがある」

はんなりしている人というのは、自信のある人である。はんなりとした女性は自分の美しさをわかっているからはんなりとできる。はんなりとした味はていねいな下ごしらえがないと生まれない。

「何日も徹夜が続いて、風呂も入れず着の身着のまま。上の人間はそれはもう厳しかった。毎月のように仲間が辞めていく。好きなフィギュアひとつデスクに置くのにも何か言われるんじゃないかとヒヤヒヤする。だけど、全人格を捧げて学んだことは、ぼくの血肉になっています。時代が違うからスタッフに押しつけたりはしませんが、ひとつ確かなのは、この仕事はどこかでそういうしんどいところをくぐらないとモノにならないということです。ぽっと出の人はプロがみれば一目でわかります」

Profile

千原徹也 Chihara Tetsuya
アートディレクター

1975年生まれ。映画への興味を入口に、タイトルデザインの第一人者、ソウル・バスにたどり着き、この世界へ。大阪、東京で下積みをし、ADの中島知美とフォトグラファーの川口賢典が運営する事務所、ストイックを経て、2011年10月にデザインオフィス、れもんらいふを設立。現在はアパレルブランドやファッション誌、タレントのアートディレクションにとどまらず、ミュージックビデオの監修やラジオパーソナリティまで、文字通り多岐にわたる活躍をみせる。
http://qreators.jp/qreator/chiharatetsuya